DOH失敗談。今だからこそ話せること
旅をしていると、今だから笑って話せる失敗がいくつかある。
その中でも、これはかなり大きな失敗だった。
私はドーハで飛行機に乗り遅れた。
しかも、乗り継ぎ時間は6時間もあった。
普通なら、乗り遅れるような状況ではない。
それなのに、乗り遅れた。
なぜそんなことになったのか。
今になって振り返ってみると、理由はとても単純だ。
初めてのDOHが、あまりにも楽しかったのだ。
中東の空港、それぞれの記憶
それまでにも、中東の空港はいくつか利用していた。
まず思い出すのが、アブダビのAUH。
当時はまだ現在のような新しいターミナルになる前で、建物そのものにはかなり年季が入っていた。
でも、そこには強烈な「アラブ感」があった。
装飾も、色使いも、人々の雰囲気も、
「ああ、中東に来たんだ」
と思わせてくれる空港だった。
今のような近未来的な空港ではない。
でも、むしろあの頃のAUHには、中東へやって来たことを強く感じさせる独特の雰囲気があった。
そしてDXB、ドバイ。
こちらはまったく違う。
巨大で、華やかで、世界中から人と物が集まってくる。
空港というより、ひとつの巨大都市を歩いているような感覚さえあった。
そして初めて降り立ったDOH。
ここは、AUHともDXBとも違っていた。
新しく、整然としていて、近代的。
派手さを前面に出すというより、すべてがきれいに設計されている。
どこか未来の空港に来たような印象だった。
巨大な黄色いランプ・ベア。
広いターミナル。
見慣れない店や施設。
初めて来た私には、空港そのものがひとつの観光地のように思えた。
しかも、24時間動いている。
乗り継ぎ時間は6時間。
だったら、ゲートの前でずっと座っている必要はない。
せっかく初めて来たのだから、空港の中を歩いてみよう。
そう思った。
今考えると、これがすべての始まりだった。
DOHを歩き回る
ただし、この旅は2022年。
まだコロナ禍の真っただ中だった。
近代的で美しいDOHにも、その影響ははっきり残っていた。
待合室の椅子には、一席おきに座らないよう注意書きが置かれている。
今となっては、これもひとつの時代の記録だ。
それでも空港は動いていた。
ラウンジも覗いてみた。
ここでも、これまで利用してきた中東の空港とは少し違う印象を受けた。
新しくて、落ち着いていて、居心地がいい。
乗り継ぎのために仕方なく時間を潰している、という感じではなかった。
DOHにいること自体が楽しかった。
何せ時間はたっぷりある。
少なくとも、その時の私はそう思っていた。
ライターがない
空港の中を歩いているうちに、ひとつ困ったことに気づいた。
ライターがない。
そこで免税店に入り、
「ライターある?」
と聞いてみた。
すると店員は、まったく困った様子もなく、
「うちにはないよ。みんな貸してくれるから」
と言う。
なるほど。
そういうものなのか。
ヨーロッパにいると、知らない人から突然、
「タバコある?」
とか、
「火貸して」
と言われることは珍しくない。
だったら、ここでも同じなのだろう。
喫煙所へ行き、近くにいた人に一言。
「Fire?」
それだけ。
すると、本当に何の問題もなくライターが差し出された。
ああ、これでいいんだ。
そんな些細なことまで面白かった。
初めての空港を歩き、知らない人から火を借りる。
それだけなのに、旅をしている感じがした。
そうなると、ますますじっとしている理由がなくなる。
まだ時間はたっぷりある。
私はそう信じていた。
アラビア語が心地よかった
DOHを歩いていて、もうひとつ印象に残ったものがある。
アラビア語のアナウンスだ。
何を言っているのかは、ほとんどわからない。
でも、あの響きが妙に心地よかった。
カーフやアインのような、喉の奥を使う独特の音。
日本語にも英語にもない音が、広いターミナルに響いている。
それを聞いているだけで、
「ああ、いま自分はアラブの世界にいるんだ」
という実感が湧いてきた。
店を見て、歩いて、また別の場所へ行く。
24時間空港だから、深夜になっても空港そのものが眠らない。
そんなDOHが、すっかり楽しくなっていた。
そして、コーヒー
今思えば、このあたりで搭乗口へ向かえばよかった。
でも、私はまだ余裕綽々だった。
そこで、なぜかもうひとつやってみたくなった。
せっかく中東にいるのだから、アラビア語でコーヒーを注文してみよう。
立ち寄ったのは、空港内の Jamocha Café だった。
当時覚えていた言葉で、
「カフア、ミン、ファドリカ」
と言ってみた。
正しいアーンミーヤだったのか。
それともフスハーに近かったのか。
文法的に正しかったのか。
今でもよくわからない。
おそらく、かなり怪しかったと思う。
でも、通じた。
ちゃんとコーヒーが出てきた。
それが、妙にうれしかった。
初めてのドーハで、自分の口から出たアラビア語が通じた。
残念ながら、この一杯の写真だけは残っていない。
今となっては、この旅で最も重要な一杯だったと言ってもいいのに。
私はコーヒーを持って、大きな窓の外を眺めた。
夜の空港。
飛行機が動き、人が行き交い、遠くにはたくさんの灯りが見える。
ときどき、アラビア語のアナウンスが流れる。
喉の奥から響くような、あの独特の音。
何を言っているのかはわからない。
でも、それがとても心地よかった。
コーヒーもうまい。
アラビア語も通じた。
初めてのDOHも楽しい。
なんだか、とても気分がよかった。
だから私は、そこでゆっくりしてしまった。
本当は、ゆっくりしている場合ではなかった。
誰もいない搭乗口
そろそろ行くか。
そう思って、搭乗口へ向かった。
ところが。
誰もいない。
さっきまであれだけ人であふれていた空港なのに、そのゲートの前だけが妙に静かだった。
そこにいた地上係員を見る。
こちらを見た係員が、両手を使って大きなバッテンを作った。
そして言った。
「もう行ったよ」
一瞬、意味がわからなかった。
いや、そんなはずはない。
まだ間に合うと思っていた。
おそらく私は、どこかで搭乗時間と出発時間を読み違えていたのだと思う。
乗り継ぎ時間は6時間もあった。
だから最後まで、時間が足りないという感覚がなかった。
時間がなかったから乗り遅れたのではない。
時間がありすぎたから、乗り遅れた。
会社には言えない
さて、どうする。
翌日はジュネーブで仕事がある。
そして何より、
「乗り遅れました」
などと会社にはとても言えない。
どうしても、その日のうちにGVAへ着かなければならない。
係員に食い下がった。
「どうしても今日中にジュネーブへ行きたいんだ」
不思議なもので、あの時は英語がとてもスムーズに出てきた。
普段なら、
「この言い方でいいかな」
と頭の中で考えるようなところでも、そんな余裕はない。
伝えなければならないことは一つだけ。
今日中にジュネーブへ行きたい。
相手も英語を母国語とする人ではない。
だからなのか、かえって話は早かった。
難しい言葉はいらない。
必要なことだけを、簡単な英語で伝える。
それで十分だった。
係員は少し考えてから言った。
「ちょっと待て。探してやるから」
そして、
「じゃあ、こっちへ」
と言って歩き始めた。
空港の裏側へ
係員について行くと、普段なら乗客が入ることのない事務所へ案内された。
そこで端末を使って、別のルートを探してくれた。
しばらくして見つかったのが、
DOH → LHR → GVA
というルートだった。
ジュネーブ到着はかなり遅くなる。
でも、その日のうちに着ける。
助かった。
本当に、その一言だった。
そして少し気持ちに余裕が戻ってくると、
「久しぶりにヒースローも見られるな」
などと思い始めた。
人間というのは勝手なものだ。
さっきまで絶望していたのに、ルートが決まった途端に、また旅人の気分に戻っている。
ようやくDOHを離れ、LHRへ
ようやくDOHを離れ、LHRへ向かった。
何とかその日のうちにジュネーブへたどり着ける。
そう思って少し安心したところで、機内のフライトマップを見た。
そこに表示されていたのは、黒海沿岸の地名だった。
Odesa、Sevastopol、Mariupol。
2022年。
ニュースで毎日のように目にしていた地名が、今度は機内の画面に現れていた。
フライトマップを見る限り、機体はウクライナにかなり近いところを通っているように見えた。
さっきまで私は、飛行機に乗り遅れたことばかり考えていた。
でも、この画面を見た瞬間、2022年という時代の現実に引き戻された。
無事、イギリスまで来た
そしてLHRへ。
目の前の案内表示には、
Geneva — Boarding
の文字。
ヒースローまで来た。
そして、今度こそジュネーブ行きに乗れる。
とりあえず、イギリスまで来た。
そう思った。
予定していたルートとはまったく違う。
ジュネーブ到着も遅くなる。
それでも、もう大丈夫だろう。
あとはGVAへ向かえばいい。
あのDOHの誰もいないゲートを見た瞬間から考えれば、この「Geneva」の文字がどれほどありがたかったことか。
今だからこそ話せること
こうして私は、何とかその日のうちにジュネーブへたどり着いた。
もちろん、乗り遅れた原因は完全に自分にある。
初めてのDOHが楽しくて、空港を歩き回った。
ラウンジも覗いた。
ライターを探した。
知らない人から「Fire?」で火を借りた。
アラビア語のアナウンスを楽しんだ。
そして最後には、Jamocha Caféで、
「カフア、ミン、ファドリカ」
などと言いながらコーヒーまで注文した。
それがちゃんと通じたものだから、うれしくなって窓の外を眺めながらゆっくり飲んだ。
アラビア語でコーヒーを注文することには成功した。
ジュネーブ行きの飛行機に乗ることには失敗した。
今なら笑える。
でも、あの時は本当に切羽詰まっていた。
そして今振り返って一番強く残っているのは、失敗そのものよりも、あの地上係員のことだ。
両手でバッテンを作って、
「もう行ったよ」
と告げたその人が、そのあと本気で別のルートを探してくれた。
DOHからLHRへ。
そしてLHRからGVAへ。
あの人がいなければ、その日のうちにジュネーブへ着くことはできなかったかもしれない。
名前も覚えていない。
でも、今でも感謝している。
旅では、ときどき失敗する。
そして、知らない誰かに助けられる。
DOHで飛行機に乗り遅れたことは、決して自慢できる話ではない。
でも、初めてのDOHの楽しさも、アラビア語で注文した一杯のコーヒーも、誰もいなかった搭乗口も、助けてくれた係員も、ヒースローで見た「Geneva」の文字も。
今では全部ひっくるめて、忘れられない旅の記憶になっている。
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