Όταν Θολώνει το Ούζο|ウーゾが白く濁るとき
夕方になると、彼女は窓を開ける。
港から風が入ってくる。
潮の匂い。
ディーゼルの匂い。
遠くで鳴る汽笛。
ピレウスの夕暮れは、毎日少しずつ違う。
空の色も。
海の色も。
入ってくる船も。
でも、彼女がすることだけは変わらない。
窓を開ける。
小さなテーブルを拭く。
椅子を一つ引く。
そして棚のいちばん端に置かれたグラスを取る。
古いグラスだった。
少し厚く、底が重い。
きれいなグラスなら、ほかにもある。
来客用に買った細いもの。
縁に小さな模様の入ったもの。
ずいぶん前に誰かからもらった二つ組のもの。
でも彼女は、それらを使わない。
毎晩、同じグラス。
それだけだった。
いつもの時間
「今日は少し風があるわ」
彼女は誰にともなく言った。
窓の外を船が横切っていく。
大きなフェリーだった。
夕日の残りを船体に受けながら、ゆっくり港へ入ってくる。
彼女はしばらく眺めていた。
それから視線をテーブルへ戻す。
透明なウーゾを、いつものグラスへ注ぐ。
ほんの少し。
昔より飲む量は減った。
それでも毎晩、必ず注ぐ。
ボトルを置く。
次に、小さな水差しを取る。
水を少しだけ入れる。
透明だった酒が、底の方からゆっくりと変わっていく。
白い煙のようなものが広がり、
やがてグラス全体が淡く濁る。
彼女はそれを見るのが好きだった。
何度見ても飽きなかった。
しばらく、白く変わっていくグラスを見つめていた。
そして一口飲む。
アニスの甘い香りが鼻へ抜ける。
喉の奥に少しだけ熱が残る。
彼女は椅子にもたれた。
窓の向こうでは、人が行き交っている。
仕事帰りの男たち。
買い物袋を持った女。
子どもの手を引く母親。
路地の向こうから、皿の音が聞こえる。
誰かが笑っている。
もう少し遠くでは、ブズーキの音。
まだ店が本格的に賑わう時間ではない。
調弦なのか。
誰かが何気なく弾いているだけなのか。
短い旋律が、風に乗って途切れ途切れに届く。
彼女は耳を澄ます。
「それ、好きだったでしょう」
返事はない。
彼女も待たない。
グラスをもう一度口へ運ぶ。
二つあった
昔は、二つあった。
同じグラスが。
まったく同じ形で、
同じ重さで、
並べるとどちらがどちらなのか分からなかった。
いつから一つになったのか、
彼女は考えない。
そういうことは、考え始めると夜が長くなる。
だから考えないことにしている。
残った一つを使えばいい。
毎晩。
同じように。
今日のこと
「今日はね、トマトが安かったの」
「でも、あなたが好きだった小さいのはなかったわ」
少し飲む。
「魚も見たけど、買わなかった」
窓の外を見る。
「ひとりだと、大きすぎるのよ」
そこまで言って、彼女は少し笑った。
自分でも、何がおかしかったのか分からない。
「昔なら、全部食べたのにね」
海から強い風が一度だけ入ってきて、
薄いカーテンを大きく膨らませた。
彼女は立ち上がらない。
カーテンが落ち着くのを待つ。
港の灯り
港には、夜になってから入る船もある。
彼女はそれを知っている。
光だけを先に見せて、
暗い海からゆっくり近づいてくる船。
その灯りを、
彼女は何度も見てきた。
だから、遠くに光を見つけても、
もう立ち上がることはない。
窓へ駆け寄ることもない。
ただ、
「遅いわね」
と、小さく言う。
それだけだ。
白い酒
グラスのウーゾは、もうすっかり白くなっている。
透明だったことが嘘のようだった。
彼女はグラスを光に透かす。
向こう側の港は見えない。
白い酒の向こうで、
灯りだけがぼんやり滲んでいる。
「不思議ね」
「さっきまで、こんなに透明だったのに」
「水を少し入れただけで」
その先は言わない。
グラスをテーブルへ戻す。
洗わないグラス
流しには、朝使ったカップがある。
皿が一枚。
小さな鍋。
それらはあとで洗う。
いつものことだ。
でも、このグラスだけは別だった。
飲み終わると、
彼女は水を入れない。
洗剤にも触れさせない。
布巾で拭くこともしない。
ただ、そのまま棚の端へ戻す。
翌日の夕方、
またそこから取り出す。
誰かに理由を聞かれたことがあった。
ずいぶん前のことだ。
「そんな古いグラス、まだ使ってるの?」
彼女は笑って答えた。
「これがいちばん飲みやすいのよ」
相手も笑った。
それで話は終わった。
夜の歌
夜が少し深くなる。
ブズーキの音が、さっきよりはっきり聞こえてくる。
今度は歌声も混じっていた。
女の声だった。
低く、
少し掠れている。
どこかで長い夜をいくつも越えてきたような声。
彼女はグラスを持ったまま聞いている。
歌詞までは聞き取れない。
でも、それでよかった。
歌というものは、
全部聞こえなくても分かる夜がある。
彼女は目を閉じた。
ほんの少しだけ。
今夜も
「今夜も白く濁ったわ」
「いつもと同じように」
今度は笑わなかった。
グラスの底には、少しだけウーゾが残っている。
彼女は飲み干さない。
いつも少しだけ残す。
なぜかは、自分でも考えない。
窓の外で、港の灯りがひとつ消えた。
少しして、またひとつ。
彼女は立ち上がる。
カーテンを整える。
窓に手をかける。
けれど、完全には閉めない。
指一本分だけ、隙間を残す。
海の匂いが入ってくる。
テーブルの上のグラスを持つ。
流しの前を通る。
でも、立ち止まらない。
棚のいちばん端へ戻す。
いつもの場所。
いつものグラス。
白く濁った跡が、内側にわずかに残っている。
彼女はそれを見て、
棚の扉を閉める。
「おやすみ」
小さく言った。
誰に向けた言葉なのかは、
もう彼女自身にも分からない。
外では、
遠い船の汽笛が一度だけ鳴った。
彼女は振り返らなかった。
今夜も洗わなかった。
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